「ピアノと断捨離」という記事を以前に書きました。
その流れで、リサイクルショップにベースギターを売ってきました。(写真を撮っておかなかったのでお見せできないのが残念です)
買取価格は500バーツ(1500円)でした。
インドネシア製のよくわからんメーカーのですしね、、、、値段が安いはいいのですけど、部屋が広くなってワロタ、みたいな状況です。
ところで、ピアノやってる人が、他の楽器に手を出す、ということをどう思いますか?
私は、ピアノのほかにギターもちょっと弾くんですけど、あなたは「ピアノ一筋」ですか?浮気するタイプですか?
ピアノは人生のパートナーかも
ピアノを習う(独学する)というのは、もしかしたら「結婚」に近いかもしれません。
あなた(独身の男性と仮定します)が愛する女性に「ボクと結婚してください」みたいなプロポーズするとしましょう。
その言葉は、その女性の中では
①一生、私だけを愛する。
②私だけではなく、子どもが生まれたらその子も等しく愛する。
③家族の幸福を守るため、働き、収入を得る。
④趣味や娯楽はほどほどにし、私との時間を持つ。
他にもあるのかもしれませんが、おおよそ上記みたいなことを期待すると思われます。
で、ふと思ったのです。
もしかしたら、部屋にベースギターがあるということを、ピアノさんは快く思っていないのかもしれない、と。ピアノさんは嫉妬深い女性のような存在なのもしれないな、、、と。
そんなこと考えたことは、今までなかったのですけど、ピアノさんの気持ちになると、ごめんなさい、という気持ちになってしまいます。
日本人の宗教観と絡めて
日本人って、宗教観がでたらめだ、ってことはご存知ですよね?
一神教の国だと絶対にあり得ない感覚だと思うのですが、、、
なんとなく、この辺のメンタリティが、ピアノをやっているのに部屋にベースギターやギターがある、という節操のない状況を生んでいたのでは、、、と感じます。
スピリチュアルな本は好きです。スピリチュアル本は、宗派はこだわらずに読んでいるのですが、もし心酔するような教えに出会ったらどうでしょうか?
やはり、その宗教の本だけを読んで、その教えにしたがった生活を送るのが正しい信徒なのでは?という気がしますよね。。。だいたい、いろいろ読んだら、頭の中がぐちゃぐちゃになって、何が何だかわからないと思うのですよね。
で、さらに考察を進めると、たとえばキリスト教を信じている人たちがものすごく大勢いると、その人たちの精神エネルギーによって、父なる神とかイエス様とかマリア様とか、そういうキリスト教的なエネルギーの「場」を作り、それが精神エネルギーとして「存在するようになる」のでは?と思ったりします。死んでこの世を離れたキリスト教徒の精神エネルギーもまた、アストラル界の存在になってその「場」を強める、とすれば、、、累積されていって、巨大なキリスト教的精神世界が現実世界にもアストラル界にも築かれることになります。
で、話をピアノに戻しますと、
私はピアノと「音楽的な結婚」をし、「ピアノ教徒として洗礼を受けた」と考えます。
そういう覚悟を新たにしたい、と、それを言いたかったのですが、何となく、言ってること、わかっていただけましたか。
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